| わたくしは、専門部の庭球部のキャプテンを務めておりました。卒業後は実業の方へ入りまして、その後15年間は殆ど学校との交渉を断ちまして仕事に接しておりました。それ以後は一橋庭球部、庭球倶楽部のご了解を得て色々なことに参加させていただいております。
しかるにわたくしももう91歳となりました。外に出るにも何をするにも大変でございます。庭球倶楽部の集まりにもあまり顔を出せなくなっております。しかしながら、学校の学生諸君の活躍や先輩の集まりでの内容やらについては、極力耳に入るようにご連絡をお願い申し上げております。一橋庭球部・一橋庭球倶楽部に終生尽くしていきたいと思っております。 ところで、庭球倶楽部には、倶楽部の資金運営を円滑に進めていくための基金があります。有名なプレーヤーや社会で活躍された先輩からのご寄付の提出があり、それをもって倶楽部の基金としているのです。その中に昭和基金というものがあります。今日はその昭和基金についてお話しようと思ってまいりました。 あれは何年前になりましょうか。文部省から一橋大学に、外国人の学生を受け入れる建物を建てるための土地を提供せよ、という通知がございました。そしてそれを受けて、一橋の学部から、専門部のあの用地(国立東キャンパスのこと。テニスコートはその敷地内にある)を召し上げなければならないかも知れんという通知がございました。そこで慌てまして、当時のキャプテンを務めていました後藤達郎君、そして私、実力を持っておりました諸戸鉄夫君の三人でとりあえず3千万こしらえよう、一人1千万ずつ用意して、もし、文部省の話がもっと大きくなって足りなくなったら在京の先輩の皆様にもご協力願って(テニスコート用地確保のための)基金としようということで、まずはじめましたのが昭和基金でございます。最初は昭和という名前はなくて、学校の援助金・庭球部援助金でありました。
そういう経緯で3千万できましたけれでもその後の動きにつきましては私はよく存じ上げません。その使途についても私は、わざと報告を求めることなしに、庭球部・庭球倶楽部の良いように使ったらいいではないかと思っておりました。ところが今日になりますと、ほとんどの学生の方が、「昭和基金というものはいったい何なんだ」と思っているようですし、先輩の方々の中にも、「なんのためにあんなものができたんだ」とお思いになっている方がいらっしゃると聞きます。 これは、学校の伝統であり、先輩たちのそれこそ、学校の庭球部を守ろうとする気持ちの集約なのであります。これを何とかわかってもらおうと思って、今日、わざわざ東京に出てきて、この会に出席させていただきました。ひとつこれから先、この昭和基金の内容をみなさまに伝えていただいて、これが庭球倶楽部の財産であるぞということをどの方にもわかるようにしていただきたいというのが念願であります。 この基金は、わたくしたちが先輩として、自分のできる力でこしらえたものであります。これを十分に有効に使っていただくというのが一番重要なことでございます。それと同時に、その歴史を明らかにするということは、庭球部の歴史を考えるうえでもまた大切なことであります。よろしくお願いします。 庭球部の総会に出席するのも30年ぶりぐらいになりまして、年齢を重ねていくとどうも出にくくなります。人に会うのも億劫になるばかりですが、その点はお許しを願いまして、今後ともひとつ庭球部の名誉のために、学生の皆様のご奮闘を願って、先輩方の温かい応援をいただいて、一橋庭球倶楽部というものの将来をお祈りしたいと思っております。ありがとうございました。
(平成13年5月21日 庭球倶楽部総会にて) 2001/6/12
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